迷いがあればそれをデリケートに受け止める。僕が困惑すれば彼女たちも不安がる。僕のボキャブラリーが彼女たちのボキャブラリー。イントネーションも表情も真似をして話す。
子供たちは自分を映す鏡だ。
苛立ちを与えれば誰かに苛立ち、怒りを感じ取れば誰かに怒るのかもしれない。
でも、もし言語が不完全でも、上手に表現できなくとも、言葉に愛を込めればそれは伝わる。愛が伝われば彼女たちもきっと誰かに愛を与えようとする。
彼女のために祈れば、彼女も誰かのために祈りをささげるに違いない。
僕の愛は言葉でちゃんと伝わっているんだといつも信じて生きている。