2012年1月2日月曜日

Classic 2012

「古典」と料理の世界でいう場合、「ガストロノミーの古典」をさすのだろう。「郷土」、「地方」料理とはやや分けて考えた方が良いかも知れない。100年前から今日でも作り続けられ、食べ続けられている「郷土」料理を「古典」とは言わないからだ。しかし双方、受け継がれてきた結果、伝統としての存在感を兼ね備える。

ガストロノミーの「古典」はすなわちグランド・キュイジーヌだ。多くの料理が時代の変革の中、淘汰され姿を消してきた。レストランのカテゴリーやあり方が人々の生活や習慣の中で多様化した結果、役割を終えるものがあるからだ。その中で今なお輝きを持ち続ける「古典」にはいったいどんな力があるのだろうか。

近年、料理人はその技術に化学的根拠を求め、緻密な仕事をするようになった。そしてデザインを重要視する傾向はまだまだ続きそうだ。フランス、スペイン、イタリア、そして北欧、イギリス、アメリカと最先端と言われるレストランになるほど、デザインだけを見ていたら国籍の判別が難しい。勿論ルセットを見れば随所に土地や人の感性が盛り込まれているのだけれど。良い意味でボーダ・レスになり情報、技術、人材の共有化が進んだ半面、傾向を真似しただけのだ駄作が世に蔓延した。そういう時には逆の方向に揺れるベクトルが働きバランスをとろうとするものだ。いつも進むべき方向の修正を示唆してくれる羅針盤としての役割が「古典」なのだ。

「古典」は再現ではない。「古典」は出発点としての根拠を指示している道しるべ。僕たちは今、「古典」が進む「未来」への通過点にいるにすぎない。