2012年2月29日水曜日

Truffe 52

フランス産「黒トリュフ」の時期は2月一杯だ。レストランで使えるのは3月上旬くらいまでだろう。今週あたりが最後の入荷になるかもしれない。

寂しいなー。

2012年2月28日火曜日

Truffe 51

フランス産の「黒トリュフ」で1個が100gくらいだと型の良いトリュフといえる。50g以下の小さなものよりも良質な場合が多いと思う。

使いかたにもよる。丸ごと加工したいとかアッシェ、ジュリエンヌなどの切り方にも関係してくる。香りさえのっているのであれば200g、300gといった大型の物をピュレにするという場合もあるが日本に流通している数はとても少ない。

2012年2月27日月曜日

Spherical Polar Coordinates

調理方法がどんどん複合的で複雑になってきている。古来より続いてきた「あぶり焼き」のようなプリミティブな美味しさを総合的に表現しようとする場合でも、その目的を達成するために中心温度、表面温度、温度勾配、そして表面のメイラード反応の度合と均一、不均一さ塩、など「偶然」の結果ではなく全てあらかじめイメージされたものに到達するために色々なテクニックを重層していくからだ。

とても複雑なテクニックに支えられた正確な「あぶり焼き」をプリミティブに表現する、ということだ。

下処理から切り方、マリネ、発酵、加熱などの加工点である様々な「Culinaire 調理」が色々なベクトルを持ち動き回り集合し、最終的に「Cuisine 料理」として表現される。

そしてある「Concept コンセプト」によりいくつかの「Cuisine 料理」を連続させ「Menu コース」とし、そのセット全体とサーヴィスを組合せてコンセプトを具現化する。

コンセプトはより狭くなりつつあって、業態や国籍、素材といった「系」だけではなく、より個人の感覚の表現、といった方向に向かいつつあるのだ。

2012年2月24日金曜日

Piamore

4歳の長女はピアノを習っている。まだ始めたばかりだから何もできない。でもとても一生懸命に練習しているし、毎週先生がきてくれるのを楽しみにしている。僕はなるべく長く続けてもらいたいと願っているのだが、どんなものか。親の思惑通りに行かない事のほうが多いのだろうけど・・・。

始めたばかりだから先のことは楽観的に考えよう。で、ピアノの先生はとても美人だ。その先生が2012年3月4日(日曜日)に「サンポートホール高松 第1小ホール」でコンサートを開く。エンターテイメント好きな僕たちは勿論、家族総出で出かけてゆくのだ。楽しみだなー。

皆さんもいかがですか。

http://www.tomoshiroinoue.jp/piamore.pdf

2012年2月23日木曜日

1,268Km/h

先日、今の車に乗り始めて5年がたった。ほぼ5年目の日に走行距離が「55555Km」になった。1 年では「11111Km」、1日では「30.441Km」、1時間なら「1.268Km」だ。

1.268Km/hということはおそらく5年前から決まっていた運命だったと思う。

ここで理由をいうことはできない・・・。

2012年2月22日水曜日

ZOOLOGY

先日、いつものように市場へ行った。まず水産の棟で魚をもらい、次いで「やっちゃ場」へ行く。高松で「やっちゃ場」という言葉は耳にした事が無いが、東京築地市場では野菜を売る青果棟を「やっちゃ場」と呼ぶ。だから僕的には「やっちゃ場」だ。

いつも行く市場内の八百屋さんのおばちゃんがチョコレートをくれた。ヴァレンタイン週間だったからだ。「ありがとう、おばちゃん!」と思ったら「チビちゃんに」と言われた。僕は市場へ行く時間が遅い時はいつも次女を連れて、幼稚園が休みの時は長女も連れて市場へ行く。だから子供たちへお菓子などをいつもいただくのだ(いつもありがとうございます!)。

でもヴァレンタインだ。今日ぐらい「チビ」ではなく「僕」でもよいではないですか。「あっ、もしかして、おばちゃん、それは逆に・・・」・・・。

いずれにしろ可愛いショコラをありがとうございました!勿論、お返しは「僕」からですよ・・・。

でもおばちゃんは「残りものでごめんね」ともいっていたなー。

2012年2月21日火曜日

Bibliographie 28 [Le Maître d'hôtel français 2]

「Le Maître d'hôtel français」 (Paris, 1822, Tome 1 et 2) par Marie-Antoine Carême (8 June 1784–12 January 1833)

フランス料理の料理人で「Marie-Antoine Carême マリ・アントワーヌ・カレーム」を知らない者はいない。カレームへの興味は料理のルセットそのものだけではなく、ピエスモンテやそのプレザンタシオンの方法をまとめた部分にも大きな比重がある。これはカレームがパティシエでもあるところに起因するのだろう。会食や宴会などのノウハウを解りやすく解説した点も重要だ。

そして「L'Art de la cuisine française au XIXe」へと続いてゆくのだが残念ながら僕は復刻版しか持っていない。

中表紙の料理人の挿絵は料理書やカルトなどで今もよく見かけるものだ。


2012年2月20日月曜日

Silver

先週の土曜日は日中から白いものがちらちらと舞っていた。

ここのところの高松はとても寒く、積もったりはしないけれど雪が舞う日も少なくなかった。陽の光があるのに雪が降っている光景を今年は何度も目にすることがあった。そしてそんな雪は長くは続かずにすぐに止むのだった。

しかし土曜日の夕方はいつも違っていた。もの凄い密度の雪が舞いだすとたちまち山の表面は銀色に覆い尽くされてしまった。

完全に征服されてしまうと、僕たちはもうその山から離れることはできなくなるのだ。雪に追いかけられるように坂道を転げ落ち、あわてて逃げださなければならない。寒さに震える子供たち手をぎゅっと握って無言で恐る恐る、銀色に吸い込まれないように慎重に・・・。

と思ったら雪は止み、素晴らしい光景を僕たちの前に見せてくれたのだ。

とても温かな雪だった。


2012年2月18日土曜日

Bibliographie 27 [Le Maître d'hôtel français 1]

「Le Maître d'hôtel français」 (Paris, 1822, Tome 1 et 2) par Marie-Antoine Carême (8 June 1784–12 January 1833)

「Le Maître d'hôtel français ル・メイトル・ドテル・フランセ」は1822年にパリで初版が2冊本で発行され、その後も再版されている。

僕の手元にあるものは。「Nouvelle edition」 1842年とあるから、カレームの死後に初版が再刷されたものだろう。

10名程のテーブルから60~70人の宴会などの会食メニューが多数収録されている。ピエスモンテを配置する為の台やテーブル・セッティングなどの図案も豊富だ。当時の給仕長の心得や宴会のノウハウが記された貴重な文献だ。


2012年2月17日金曜日

Truffe 50, Bibliographie 26 [Le Cuisinier Parisien 3]

「Le Cuisinier Parisien」 (Paris, 1842, 3th edition) par Marie-Antoine Carême (8 June 1784–12 January 1833)

「Le Cuisinier Parisien ル・キュイジニエ・パリジャン」でも多くのピエスモンテの図版を掲載している。19世紀のピエスモンテには「Hâtelet」という「素材、料理を串刺しにして飾る」装飾をよく見かける。「トリュフ」も「Hâtelet」の部品としての登場頻度はかなり高い。

ピエスモンテについては故辻静雄先生が1977年に大修館書店より刊行した1冊本の大著、「Etude Historique de la Cuisine Française フランス料理研究」に詳細解説されている。日本語で読め、かつ世界的にも貴重な唯一無二の最高の研究文献だ。


2012年2月16日木曜日

Bibliographie 25 [Le Cuisinier Parisien 2]

「Le Cuisinier Parisien」 (Paris, 1842, 3th edition) par Marie-Antoine Carême (8 June 1784–12 January 1833)

このBlogをアップ・ロードし始めた頃は、「Bibliographie」のラベルだけで1年でも2年でも続けられるし楽しいなー、とか思っていた。蔵書はすでに沢山あるし更に増殖中なのでいわゆる「ネタ」に困ることはないと考えたからだ。しかし実際には写真を撮ったり、多少の調べものは必要で、そーなると時間が捻出できないからそんなに簡単ではなかった。

とはいえ、頑張ると決めたら頑張る、という持ち前のポジティブ思考と、かねてから「蔵書目録」を作りたいという情熱で最近復活気味。

以前、コンピューターに入力した「蔵書目録ファイル」データが消失した事があり、立ち直っていなかったのだけれど、このBlogのお陰で再燃したのだった。

復刻版ではない170年前に印刷されたカレームの原典は貴重度の最高位にあるものだ。


2012年2月15日水曜日

Bibliographie 24 [Le Cuisinier Parisien 1]

「Le Cuisinier Parisien」 (Paris, 1842, 3th edition) par Marie-Antoine Carême (8 June 1784–12 January 1833)

「Le Cuisinier Parisien ル・キュイジニエ・パリジャン」 はその初版が1828年にパリで出版された。僕の手元にあるものは1842年の第3版だ。序文は第2版のままなので1833年にカレームが亡くなった後に再版された第3刷というところか。中表紙には「troisieme edition. 1842」とある。

イラストには「トリュフ」、「アスペルジュ」、「アルティショー」、「シャンピニョン」など今の調理場にある素材と同じ物が描かれている。本文にあるピエスモンテの図案には「トリュフ」がふんだんに使われている。

序文に「elegance de la cuisine moderne」のという表現がある。どの時代も今日はMODERNEということだ・・・。


2th anniversary! 2012.2.15

次女「このみ」の2歳のお誕生日プレゼントは「BeMagical!」。

「ハハッ!」。

2012年2月14日火曜日

Fete des amoureux

バレンタイン・デーを前にとても、とても大きなチョコレートが届いた。もしかして「俺に!」と思った。しかし現実はそう甘くはない。僕に届いたのは「とても大きく高価なショコラの請求書」だけだった。

でも組み立てられたショコラの「お城」はとても素敵なヴィジュアルだ。

バレンタインが終わっても更に装飾を追加してヴァージョン・アップさせるそうだ。でも、食べきれるか、これ・・・。


2012年2月13日月曜日

Bibliographie 23 [Le Patissier Pittoresque 3]

「Le Patissier Pittoresque」 (Paris, 1828, 3th edition) par Marie-Antoine Carême (8 June 1784–12 January 1833)

何かを勉強しようと思ったら芋づる式できりがない。カレームは建築に興味を持ちその様式などを学び宴会料理や菓子などの盛り付けに活かした事で知られる。

しかし日々の仕事に直接関係ない事柄の勉強をどこまで「我慢」するかは非常に歯がゆいところだ。

2012年2月11日土曜日

Bibliographie 22 [Le Patissier Pittoresque 2]

「Le Patissier Pittoresque」 (Paris, 1828, 3th edition) par Marie-Antoine Carême (8 June 1784–12 January 1833)

この本は今から180年以上前に発行された書籍だから年数によるやけや劣化が見られる。それも味のうちなんだけどね。


2012年2月10日金曜日

Bibliographie 21 [Le Patissier Pittoresque 1]

「Le Patissier Pittoresque」 (Paris, 1828, 3th edition) par Marie-Antoine Carême (8 June 1784–12 January 1833)

「Le Pâtissier Pittoresque ル・パティシエ・ピトレスク」 (パリで1815年初版発行、カレームの死後だが第4刷が1842年)。

「Marie-Antoine Carême  マリ-アントワーヌ・カレーム」については世界中で研究資料が発表されている。日本語の文献も存在するので理解はしやすい。多くの著作を残したから研究しやすいのだと思う。

「Pièce montée ピエス・モンテ」に情熱を注いだことで有名。ピエス・モンテとは料理や菓子の盛り付けを建築的立体感と装飾とで表現する(今からすれば)古典的技巧。そして当然、その時の最先端だったはずだ。

僕の手元にあるものは1828年の第3版で著者直筆のサイン入りというとてもありがたいものだ。僕は時折カレームのサインを指先で愛でて当時の精華に思いを巡らすのだ・・・。



2012年2月9日木曜日

Bibliographie 20 [Cooking for Geeks]

「Cooking for Geeks 料理の化学と実践レシピ」 Jeff Potter著 水原文訳

ISBN978-4-87311-509-2

オイラリー・ジャパンから2011年9月26日初版第1刷発行、12月5日初版第2刷発行。

実際に手にとっていただかないとこの本の「面白さ」を上手く説明出来ないんだけれど、面白い。まえがきの冒頭に「ハッカー、Maker、プログラマ、エンジニア、オタク、技術屋などをGeekギークと言うことにする」とある。ギークとは一昔前の日本の俗語でいうならば「オタク」という意味としている。

最近の料理人たち(僕を含む)の「料理のサイエンス」ブームを「本当の専門家」たちが揶揄しているのかも知れない、と思ったらちょっと笑える。本気で遊んでいるからだ。

「タンパク質が機能するため必要な3次元の立体配座が熱や酸により破壊されることをタンパク質の変性と呼び、肉に含まれるタンパク質ミオシンはおよそ122°F/50℃で変性し、肉に含まれるもう一つのタンパク質アクチンはおよそ150°F/65.5℃で変性する。たいていの人はミオシンは変性するがアクチンは変性しないように調理された肉を美味しいと感じる」
(本書参照)

と、この調子と遊び心あるエピソードなどを加えて構成している。

「調理=時間×温度」から表面温度と中心温度の温度勾配、そして美味しさに大きく影響する表面のメイラード反応との関わりなど分析的に多くの変数を示しながら記している。かと思えば2本のフォークにそれぞれ電極をつけて「LEDを指し込んだホット・ドック」の両端に刺し、電流を流してLEDを発光させたりしている・・・。

兎に角、とてもお勧めの一冊です! → → → → → → → → → → → → → → → → → → → → → → → → → → → →

2012年2月8日水曜日

2012年2月7日火曜日

Sanuki Udon 30

昨年の秋くらいからまともに「讃岐うどん」も食べられない。高松に住んでいるのに、である。

今年は今までできなかった事を取り返す年だ。頑張るぞ、と意気込んでいるのだが・・・。そしてこの春は引っ越しもしなければならない。

そんな事はお構いなしの娘たちは興味あるもの、何でも夢中だ。いいなー。

2012年2月6日月曜日

Truffe 49

「Spherical Polar Coordinates」

2012年2月4日土曜日

Graphical User Interface

Windows3.1はMS-DOSをエクステンドする形でDOSの上にインストールするソフト・ウェアだった。Windows95位になって初めてホーム・ユースでも使えるOSに進化した。なんといってもGraphical User Interfaceが利用できて、プログラミングや難しいコンピューターの知識が必要なCommand Line User Interfaceからキーボードでコマンドを入力しなくてよくなったからだ。

機械好きな僕は秋葉原でマザーボードやドライブを買ってきてDOS-Vを自作、Linuxをインストール、更にX Window SystemでGUIを使えるようにしたりしてコンピュータの勉強をしていた。

仕事しながらよくやってたなー、と懐かしいけれど、その時の知識が今、すごく役に立っている。

しかし、MacOS-Xを造る人たちの頭脳って、ホント、すごいなー。

2012年2月3日金曜日

HiTBiT

僕は学生時代から文章を書くのが好きだった、でも文字を書くのが苦手だった、という矛盾に陥っていた。理由は簡単で自分で納得できる文字が書けなかったからだ。ようするに字が下手だった。

そんな時に日本語のワード・プロセッサーなるものが世に出回り始めていた。それ以前にも活字を組み込んだドラム式の大きな筒が回転して印字するタイプのタイプライター式はあったけれど持ち運びには向いていないし使いかっても悪い代物だった。

価格もこなれてきて、大きさも今のノート・パソコンの形に近いワード・プロセッサーを僕は使い始めた。その時はとても重宝した。

そして20歳くらいの時に初めてコンピューターに出会った。それがソニーが発売していた「HiTBiT」だ。MSXという共通規格で動くコンピューターで既成ソフトでゲームができたりBASICでプログラミングができた。僕はプログラミング言語の本を買ってきて夢中になって読んだ。

そのコンピューターはキーボードにソフト・ウェアのスロットとメモリーをエクステンドするスロットがあり外部メモリーやモニター、電源用のインターフェースなども全てそのキーボードに装備していた。そして外部メモリーは当時の音楽テープなどを利用したもので今からは想像もできない遅さと忍耐を要した。モニターはテレビだ。

お陰で手書きしなくてもいつでも資料などが作れる環境を得た訳だけれど、文字の方は一向に上手くならないままだ。

2012年2月2日木曜日

Truffe 48

日本は全国的にとても寒いようだ。高松でも朝、夜とかなり冷え込む。雪がちらちらと舞ったりすることもある。

最近テレビを見ていない。なのでニュースも見ていない。その手の情報は新聞の1面をキャプチャーするのと極短い時間のネットニュースだけだ。何故、キャプチャーかというと本当に文字を読んでいないからだ。新聞を画像として見てる。全体をなんとなく認識して大見出しを脳の中で文字情報に変換するのだ。

とにかく毎日、終わりのないジェット・コースターにのっているような感じだ。

そんな状態の中、僕は可愛い「黒トリュフ」を見て和む。そして「黒トリュフ」は沢山ある表皮の突起で自分の周りの環境を感じている。


2012年2月1日水曜日

Bibliographie 19 [La Cuisine Française 1]

「フランス古典料理」とはいつからいつまでの料理のことを指すのだろうか。解釈による違いは当然あると思うけれど、まず時代認識を明確にしよう。

中世とは西洋史における時代区分で、5世紀から15世紀くらいを指す。西暦でいえば401年から1500年まで。「Le Viandier de Guillaume TIREL dit Taillevent ル・ヴィアンディエ」を記した料理人、ギョーム・ティレルことタイユヴァン(1310-1395)が中世後期に属することになる。

次はいわゆる「Renaissance ルネサンス」で、14世紀から16世紀、西暦1301年から1600年まで。「Catherine de Médicis カトリーヌ・ド・メディシス(1519-1589)」がフランス王アンリ2世と結婚するためイタリアからやってきた。そしてやっとフランスでもナイフやホークといったカトラリーが使われるようになった。そんな時代。

そして17世紀、西暦1601年から1700年。「Le Cuisinier Francois par La Varenne フランスの料理人 ラ・ヴァレンヌ」(1651)この本が最初の「フランス料理の書」といえるものだ。ここにきてようやくフランス料理の体ができつつある。

18世紀、西暦1701年から1800年。ヴェルサイユで贅沢な宮廷料理が出現し始めた。書籍では「Le Cuisinier Moderne par Vincent La Chapelle 近代料理人 ヴァンサン・ラ・シャペル」(1733)この書は後にカレーム、ニニョン、エスコフィエなども評価している。そして1765年、「Champ d'Oiseay シャン・ドワゾー」という人物がパリで開いた飲食店がレストランの始まりとされている。

いよいよ19世紀、西暦1801年から1900年。ここからは歴史に名を残す多くの料理人が登場する時代だ。「Guide Michelin」が1900年に発行された。

この辺り、即ち、19世紀後期が現代のレストランからから見る「現代フランス料理」に対する「古典フランス料理」の始まりとしてよいのではないか。そして「Henri Gault et Christian Millau アンリ・ゴー クリスチャン・ミヨ」によって「Nouvelle Cuisine ヌーベル・キュイジーヌ」が提唱されたのが1970年代。

20世紀、西暦1901年から2000年まで。

今日、21世紀、2012年。レストランでの仕事から見た「フランス古典料理」とは19世紀後期から20世紀初期あるいは、中期くらいのまでの主に「Haute Cuisine」を指す、といえる。