2012年4月5日木曜日

Identity

ある種のレストランから料理の国籍が消滅している。我々のレストランも看板や印刷物にフランス料理という言葉を使わないでいる。ウェブ・サイトにはフランス料理という言葉を残しているがそれは我々のレストランの利用方法の方向性を分かりやすく示すために使っているにすぎない。ネットで何かを調べようとしている人への配慮と検索性の向上だが近い将来全て消滅すると思う。

東京にいた時はフランス料理を作ろうとしていた。店名もフランス語だった。

僕は料理の技術をフランスで学んで学習の参考にしたテキストはほとんどフランス語だったのでその技法の根底は今でもフランスにあると思っている。それに自分を育んでくれたフランス料理が好きで愛している。

レストランは何かのコンセプトを持っていて、そのコンセプトをメッセージにして伝える。そしてコミュニケーションの手段として料理やサービスがある。コンセプトはそのレストランで働く人々の思想や生き方といったものを反映したものでそれは環境や境遇、情報に誘発されたものだ。

そもそも料理とは生命の所作だ。他者の命を奪い自らの生命を存続させようとしている。それが動物であっても植物であっても僕にとっては一緒だ。

プリミティブな意味で個々の人間は命そのものをコンセプトとして生き、人間が環境に与える影響や環境が人間に与える価値、そういう様々なことを生きることそのもので表現しようとしているのだ。

レストランから料理の国籍がなくなり個人のアイデンティティから生まれるコンセプトをメッセージにして発信しようとする新しいカテゴリーが構築されつつある。

僕は今でもフランス産の食材、世界の素材を利用はしている。主に日本国内からのサプライが無いか少ない物が中心だ。例えばフォア・グラなんかがそうだ。しかし今後どんどん減ってゆくと思う。日本が置かれている地理的条件もあるとは思うが、長距離のフード・マイレージを使い大量のヴァーチャル・ウォーターを消費してテクニック先行型のガストロノミーを追及する方向に我々のコンセプトが向いていないからだ。

地産地消という概念はガストロノミーというよりはエコロジーに貢献しようとする考えで、地方の食を中心とした消費が美食や芸術を追及した結果の言葉ではない。

今、僕たちを生かしてくれている環境はとても小さな個々に何かを求め始めている。一人一人の向かう方向はまちまちだがいつか1つの場所に集約されるに違いない・・・。