2012年1月31日火曜日

Bibliographie 18 [Apicius de re Quoquinaria 1]

「Apicius de re Quoquinaria アピーキウス・古代ローマの料理書」 ミュラ=ヨコタ・宣子訳

ISBN4-385-34994-0

一旦、料理書の原点に立ち返りたいと思う。

現存するヨーロッパ最古の料理書で1世紀ごろ書かれたとされる。現存する最古であるから、現存しない更に古い料理書はあったはずだが研究のしようがない。なので料理の研究資料を時系列でさかのぼるとここで止まる。

「Apicius de re Quoquinaria」は当然ながら手稿本だがそれを写本したものが2点現存している。850年頃に「羊皮紙」に書かれた写本で現在ヴァティカン図書館所蔵。もう1つはニューヨーク医学アカデミー図書館所蔵。そして印刷による写本の初版は諸説あるものの1498年の物とされている。それ以降、多くの校本が出版され、校訂本とその翻訳書が今に引き継がれている。

(以上、本書参照)

そして僕の手元にある「Apicius de re Quoquinaria アピーキウス・古代ローマの料理書」 ミュラ=ヨコタ・宣子訳はとても素晴らしい資料を日本語で提供してくれる数少ない名訳著といえる。


2012年1月30日月曜日

Bibliographie 17 [La Cuisine Francaise Methode theorique pratique 1]

「改訂 フランス料理 理論と実際 La Cuisine Francaise Methode theorique pratique」 辻静雄著

昭和39年5月15日初版発行、昭和40年6月20日2版発行、そして昭和42年に改訂し昭和52年には改訂12版発行とあるからずいぶん沢山刷られた本だ。故辻静雄先生の学校で教科書として使用していた書籍だからだろう。

どんな分野の事柄でも同じなのかも知れないが、理論と実際にはやや乖離がある。乖離というのは正しくないかも知れない。現場で実際に行われている仕事が理想から離れて妥協の上に行われているとは限らないからだ。むしろ近年評価されているレストランにおいては妥協なく仕事を追及していると思える。

まず理論を論じて、では実際の現場ではどのようにその理論を応用しているのか、そういった研究では故辻静雄先生の右に出る者はいまだにいない。

僕の結論としては、「理論と実際」の「実際」の方は調理場の数だけあるということ。動線、設備やその配置、道具、更にはメニュー構成や客単価といったレストランのコンセプトにより様々だからだ。

僕はこの本を古書として購入した。とても美本でカバーに年数からくる若干のやけが見られるがその他はとても綺麗だ。この本の元の所有者はどうやらフランス料理に興味が無かったとみえる・・・。

2012年1月28日土曜日

Truffe 47

とてもバタバタでBlogがアップロードできない。

しかし、「黒トリュフ」は来ている。

「トッ、トッ、トリュフ、トッ、トッ、トリュフ、ノコノコノコノコ歩いたりしない、トッ、トッ、トリュフ、トッ、トッ、トリュフはノコノコノコノコ歩いたりしないけど、生きてる、生きてる、生きてる、生きてる・・・」。

2012年1月27日金曜日

Le Marche 2012.1.27

高松市玉藻町の県立ミュージアムで「おめで鯛・鯛を獲る、鯛への願い」展が開かれている。大正時代の記録によると、全国に出回る鯛の3分の1が瀬戸内海産だったそうだ。

太平洋などの大海と瀬戸内海は環境が全く違うので料理素材としての鯛の質も違う。瀬戸内海に来て5年になるけれど毎年、鯛が豊漁だったわけではない。天候などの影響で鯛がいつも以上に貴重になる日がある。

さて今年の鯛はどんな調子かな。

2012年1月26日木曜日

1993.8.19

まだ1月だから来年の話をするにはまだ早いけれど、2013年の8月で僕が独立してから20年になる。渋谷区恵比寿で自己資金殆んど0円という今からしてみれば本当に「若気の至り」としか言いようのない独立。

起業してしまったので、他人からあまり物を教えてもらえなくなって20年とも言える。

若い頃の僕はとても計画性があった部分もあって、まず大手外食産業企業で店舗運営や人事管理、マニュアルのあり方からの原価管理などを学んだ。次は料理の前にまず「お菓子」と思い、当時銀座3丁目にあった「パティスリー・レカン」に入った。その後、神田駿河台にある「アテネ・フランセ」でフランス語の勉強をしてフランスに渡った。帰国後は数件のフランス料理店の立ち上げにかかわって、再度渡仏した。1993年に再び帰国して「ラ・ロティスリー・オ・コション・ローズ」を開店したのだ。

僕は社会に出てからフランス料理の仕事しかしたことがない。何にも知らないまま今日になってしまった。

勉強しなければならないことだらけだ。

2012年1月25日水曜日

Le Marche 2012.1.25

「なまこ」は能登半島あたりのものが有名だけれど、瀬戸内海でも沢山とれる。世界では1500種、日本には200種、そのうち食用になるものが30種くらいいるそうだ。

日本で食用している「なまこ」はアカ、アオ、クロと呼ばれ、3種類に分類される。瀬戸内海ではアカが一番上等で値が高い。内臓を塩辛にした「このわた」、冬の発達した卵巣を「くちこ」と呼び、いずれも高級珍味として高価で取引される。中国では乾燥させた「干しなまこ」を利用するがとても高価な食材だ。

食用の歴史がとても長い日本人に馴染みのある食材。僕も酒の肴にして食べるのが好き。さー、なんとかレストランの料理にならないものかと思案中。難しいなー。

しかし、文句なしに気持ち悪い。すみません。

2012年1月24日火曜日

Cuisine Chinoise

子供が小さいので自由には外食ができない。外食するとしても4歳ともうすぐ2歳の幼児だからお店選びに気を使う。そもそも我々のレストランだってお店の性質上、10歳未満のお子様はお断りしている。申し訳ありません。

ナイフとホークで食べなければならないお店は駄目だ。自分の両手をふさいでしまうとアクシデントに対応できないからだ。例えば子供がグラスをひっくり返しそうになった時とか。

子供たちも騒いだり泣いたりはしなくなったので、お箸の食事で、大皿とりわけ式で、かつお店が子供を許容しているレストランなら行けるようになってきた。

まだ子供が生まれる前、東京に暮していた時は銀座の「福臨門」や渋谷の「天厨菜館」なんかによくいった。高松ではもっぱら、子供を許容してくれるホテルのダイニングを利用している。

自分たちがお客様の立場になり変わって外食を体験すると、とても勉強になることが沢山あるしね。

2012年1月23日月曜日

Le Marche 2012.1.23

極寒の瀬戸内海から「平目」がやってきた。「平目」は東京にいた時から「鯛」と並んで随分と沢山扱ってきた魚だ。

鱗は包丁で丁寧にすきとり頭を落としてから内臓なども綺麗に除去する。肝など食べられる部分は傷つけないようにとり置く。そして身を5枚に下ろす。黒腹、黒背、白腹、白背と分け、火を入れる分は皮目に1mm以下のピッチで包丁をいれておく。と書くのは簡単だけれど、実際に捌くのは手間がかかる魚だ。

天然物の極上「平目」は精悍な顔つきだ。使い込んだ歯が削れてすり減っている。

漁師さんは船に乗って漁をするだけでも命がけだが、一本釣りで釣った魚に噛みつかれたら大変だ。獰猛な「平目」は人間の手などに食いついてくる。本当に命と引き換えの仕事だ。

2012年1月21日土曜日

South Wing Arrivals

羽田空港が日本の玄関だった時代、僕は年に何度も空港にゆく機会があった。沢山の思い出があるのだけれど、とても綺麗に生まれ変わりかつての面影はもうない。というか場所からして移動しているんだもんね。

どう考えても羽田が便利だ。成田は遠い。かつては新東京国際空港と呼ばれていたが現在は成田国際空港と改めている。羽田空港も通称で東京国際空港が正式名称だ。もともと羽田飛行場として開港した時の名残らしい。

関空などもできて世界はどんどん狭くなってゆく。人間は地球の癌なのか。愚かな生き物なのかな。

2012年1月20日金曜日

Couteau

日本料理の世界では「包丁」の仕事がとても大切だ。「切る」、という技術が調理方法そのものであるからだ。生の魚自体は素材だけれども「切る」ことにより「お刺身」という料理になる。焼いたり煮たりせず、包丁により形を変えることでとても高度な料理になる。これはすごい。日本料理を世界に誇れる要素は色々あるけれど、その中でも大きな特色だと思う。

そんなわけで僕も和包丁を使う。日本の包丁に誇りをもっているからだ。

日本料理の本などを見て勉強したりもするのだが、最近思うのはフランス料理などの洋食の分野においては「お刺身」的感覚で「カルパッチョ」を美味しく造ろう、といった包丁の使い方よりも、むしろ火の入った肉や魚を切るのに有効だと感じている。

例えば、適切に加熱調理した肉であっても切れない包丁で押しつぶしてしまっては意味がない。よく切れる片刃の和包丁で切れば、細胞をつぶさず、肉のジュースを逃がさず、「ジュスト・キュイ」の意味がより増してくるのだ。

片刃の和包丁を洋食に取り入れる意味はむしろ火の入った素材。これは切りつけてから火を入れる頻度の多い日本料理と、焼いてから切り分けることの多いフランス料理の特性と日本の文化の融合だ。

何かが開けた、そんな瞬間だった。

2012年1月19日木曜日

2012年1月18日水曜日

Temperature

この数年よく耳にする「低温調理」とか「適温調理」という調理は実際には随分昔からある考え方だ。そもそも「シャルキュトリー」の分野では100年以上前から「ハム」が作られていたではないか。

ロースト・ビーフを綺麗なロゼに焼き上げるために肉の中心温度を何度にすれば良いかなどは、目盛りを赤、青、などで色分けして、赤の温度ならロゼ、青ならレア、というような表示の付いた針式クッキング・メーターはかなり以前から家庭用レベルで販売されている。

今はそのような温度管理を街場のレストランで満席の状態でもいかに確実に「当たり外れなく」実現するか、という部分に挑んでいるのだと思う。調理をより化学的アプローチで研究する動きは加速度的に進行している。情報もゆきわたり、その結果全然美味しくない「低温調理」が氾濫してしまったのも事実だが・・・。

そういった分野においては企業の食品加工工場での運用研究の方が遥かに進んでいる。

近年、実際に注目されているのは、中心温度と常にリンクしている表面温度とのバランスだ。ロースト・ビーフの火の入り具合のグランデーションは「中心温度と表面温度の差」から生まれる色だ。中心温度と表面温度の差が0℃ならグランディーションはなく肉の内部は均一な焼き加減となる。表面温度の方が高い差異になればなるほど中心とのコントラストはきつくなる。全体の温度が低ければ生に、高ければ火が入っている。

素材によりタンパク質の種類が違うのでその変性温度も一定ではない。だから肉や魚の種類で適切な加熱温度、すなわち中心温度と表面温度とその与え方はそれぞれ異なる。

まず肉の表面をリソレしてからオーブンなどで中心めがけて加熱を促進し、ルポゼして中心温度をコントロールするのは従来の方法。逆に肉をオイル・バスやウォーター・バス、スチーム・コンベクション・オーブンに入れて全体を均一な温度にコントロールした後に炭火焼などで仕上げる、これは最近の手法。

しかし、均一なロゼに仕上がっていたからといっていつも料理が美味しいわけではない。昔ながらの手法で上手に焼かれた「キャレ・ダニョ・ロティ」が現代的手法に凌駕されているとも思えないからだ。

2012年1月17日火曜日

Truffe 46

フランス産の「黒トリュフ」の状態がいよいよ本番だ。と思ったら今年は例年よりも熟成が進んでいない。自然のものだからなかなか人間の思ったようにはいかないのだ。当たり前だ。産地にもよるだろうし個体差もある。

しかしじれったいなー。早く開いてくれ。

2012年1月16日月曜日

2012年1月14日土曜日

A message to Garcia

「No one ever gets very far unless he accomplishes the impossible at least once a day.」 Elbert Hubbard

2012年1月13日金曜日

2012年1月12日木曜日

Bibliographie 16 [Le Viandier 2]

「Le Viandier de Taillevent」 Avant-Propos et Notes par le Baron Jerome PICHON, Georges VICAIRE et Paul AEBISCHER

ISBN:2-906595-04-7


長きにわたりフランス王家に仕えた「Guillaume TIREL」の墓碑には三つの鍋がデザインされた紋章の盾を携える自身が描かれている。

2012年1月11日水曜日

Bibliographie 15 [Le Viandier 1]

「Le Viandier de Taillevent」 Avant-Propos et Notes par le Baron Jerome PICHON, Georges VICAIRE et Paul AEBISCHER

ISBN:2-906595-04-7

中表紙に「Le Viandier de Guillaume TIREL dit Taillevent」とある。本名「ギョーム・ティレル」こと「タイユヴァン」(1310-1395)が「ヴィアンディエ(食物譜)」というフランス語で書かれた最初の料理書を手稿本で書いた。当時はまだ印刷という発明がなされる前だったからだ。現存する最古の写本は1350年のものにさかのぼる。その後1540年から1620年にかけて「Pierre PIDOULX ピエール・ピドゥル」が印刷により再版した。

これは1892年に再版された復刻版に解説を付し1991年に出版されたさらなる復刻版資料といったところだ。全文フランス語で「Regis Lehoucq EDITEUR」より。

フランス料理に携わる者で「タイユヴァン」を知らない人はいないだろう。パリに同名のレストランがあることは広く知られているところだ。僕も「タイユヴァン」の調理場で働くことを夢見て、フランスへ渡った料理人の一人だ。

2012年1月10日火曜日

2012年1月9日月曜日

1985.1.15

今朝、仕事に出かけようと駐車場を出ようとすると振袖をきた女性を見かけた。今日は「成人の日」だ。1999年までは1月15日だった。そちらの方に馴染みがある僕はどうも9日がピンとこない。

これから勉強する時間が沢山ある人たちがとても羨ましい。しかし僕も負けてはいられない。今年は本を読む年にしようともくろんでいる。ここのところ忙しいから、という言い訳のもと読書の時間が極端に少なくなっていたから、優先順位をグンと上げようと思っている。

もっとも、読書といったて料理の本以外まで手を伸ばすことはできそうにないのだが、せめて写真のない料理書を読まなくては・・・。

2012年1月7日土曜日

Hotel

最近すっかり常宿になってしまった。ラグジュアリー、ファミリアル、ホスピタリティー、どの要求にもこたえられる極めて高度な人材、そしてハード。

勉強になることばかりで収穫だらけ。自己投資とすら思える。おまけに楽しいんだよ。

2012年1月6日金曜日

La gastro au bistro

1992年12月5日(土)、6日(日)版の「Liberation」に「La gastro au bistrot」と見出しがある。

三つ星レストランのシェフたちが自店の隣や近隣にカジュアルなコンセプトのレストランを出店するケースが増え話題になっていた。

僕は1993年に東京都渋谷区恵比寿西で「La Rotisserie Au Cochon Rose」というレストランをオープンさせた。日本でフランス料理店のカテゴライズに「Rotisserie」と冠したのはおそらく僕が初めてだと思う。「Restaurant」、「Bistro」や「Brasserie」というのはもう当たり前の時代だった。「兎に角、何か新しいことをしよう」と気力が漲っていた。そんな時にこの「La gastro au bistrot」というコンセプトがとても刺激になった。

そして僕がやっていることは「既存の高級レストランに対するアンチテーゼ」とよく評された。

とても懐かしい20年前の「Liberation」の記事は今でも僕の手元にある。

2012年1月5日木曜日

Krug 1998

「Krug」はシャンパーニュ最高捧のグランド・メゾンだ。僕が1年間暮らした「ランス」に本拠地を構える。1843年の創業いらい伝統製法を貫きつつ、最高の技術に更に磨きをかけ続けている。「Krug」のヴィンテージ・シャンパーニュは葡萄が特別に良い状態で収穫された年のみに醸される。そしてその年の葡萄の個性を最大限に活かそうとするため、ヴィンテージがついた年のシャンパーニュそれぞれに違った特徴を与えている。

メゾン・シャンパーニュの王者。

2012年1月4日水曜日

Truffe 45

「黒トリュフ」は石灰質土壌で小石が混ざり水はけが良く傾斜が少なく平らな土地を好む。そして松茸が松の木に共生するように「黒トリュフ」は「chene ナラ」、「noisette ハシバミ」、「tilleul 菩提樹」、「charme シデ」などと共生する。木の幹からは同心円上で収穫され、その円は年々広がり一度収穫された円の内側で再度トリュフが採れることは無い。収穫円の内側はからからに乾き雑草なども生えない。トリュフが水分を吸収してしまうからだ。その不毛のサークルを「brule」と呼ぶ。土がむき出しになりまるで「焦げて」いるかのように見えるからだ。トリュフが共生する樹木を育てることがトリュフ園の管理ということになる。木の根に寄生するトリュフの育成を促すために共生する木の枝を剪定して根の成長を活発にしてやるとか木の周囲の手入れをする。

一慨には言えないが小石が多く混ざっている土壌のトリュフはいびつな形になりやすい。そして土壌に石などが少なく柔らかい土で育ったトリュフは丸いボール状になりやすい傾向にある。土壌は大きさにも影響する。

収穫された場所が数センチ違うだけでも1つ1つ個性の違うトリュフになる。トリュフは動かないから・・・。

2012年1月3日火曜日

Truffe 44

フランス産の「冬黒トリュフ」の多くは「Tuber melanosporum」で品質が良い。次に「Tuber brumala」という品種も若干だが混ざって流通する。特徴を知れば見分けがつく。

僕は今のところ使うことはないが中国産の「Tuber himalayense」という「黒トリュフ」も輸入されている。品質は劣るが価格は安い。中国産はすぐに見分けがつくので混乱はしない。

春、1月から4月にイタリア産の「春トリュフ」として「白トリュフ」の仲間「Tuber albidum pico」というものがあるが数は非常に少ない。日本ではあまり見かけない。

そして「夏トリュフ」は5月から9月までフランスやイタリア産の「Tuber aestivum vitt」だ。

10月の「秋トリュフ」は「Tuber uncinatum」でシャンパーニュやブルゴーニュでもとれる。そして「Tuber mesentericum」というどちらかといえば「夏トリュフ」に近い品種もある。

秋に収穫した「冬黒トリュフ」を「秋トリュフ」とすることもありとてもややこしい。勿論、冬のあの香りは無い。

10月にはイタリアから「白トリュフ」がやってくる。「Tuber magunatum pico」だ。大型のものが多く1個が300g~500gもあるものも珍しくない。2kgにもなるものも存在する。

19世紀には「フォア・グラのパテとペリゴールの黒トリュフ」の組合せがフランス料理の象徴のようになった。しかし忘れてはいけない。17世紀にヨーロッパにその名を轟かせていたのは「ペルドリーのパテとペリゴールの黒トリュフ」なのだ。

これも僕の道しるべ。

2012年1月2日月曜日

Classic 2012

「古典」と料理の世界でいう場合、「ガストロノミーの古典」をさすのだろう。「郷土」、「地方」料理とはやや分けて考えた方が良いかも知れない。100年前から今日でも作り続けられ、食べ続けられている「郷土」料理を「古典」とは言わないからだ。しかし双方、受け継がれてきた結果、伝統としての存在感を兼ね備える。

ガストロノミーの「古典」はすなわちグランド・キュイジーヌだ。多くの料理が時代の変革の中、淘汰され姿を消してきた。レストランのカテゴリーやあり方が人々の生活や習慣の中で多様化した結果、役割を終えるものがあるからだ。その中で今なお輝きを持ち続ける「古典」にはいったいどんな力があるのだろうか。

近年、料理人はその技術に化学的根拠を求め、緻密な仕事をするようになった。そしてデザインを重要視する傾向はまだまだ続きそうだ。フランス、スペイン、イタリア、そして北欧、イギリス、アメリカと最先端と言われるレストランになるほど、デザインだけを見ていたら国籍の判別が難しい。勿論ルセットを見れば随所に土地や人の感性が盛り込まれているのだけれど。良い意味でボーダ・レスになり情報、技術、人材の共有化が進んだ半面、傾向を真似しただけのだ駄作が世に蔓延した。そういう時には逆の方向に揺れるベクトルが働きバランスをとろうとするものだ。いつも進むべき方向の修正を示唆してくれる羅針盤としての役割が「古典」なのだ。

「古典」は再現ではない。「古典」は出発点としての根拠を指示している道しるべ。僕たちは今、「古典」が進む「未来」への通過点にいるにすぎない。

2012年1月1日日曜日

Bonne et heureuse année 2012 !!

「Famille 2012」

新年明けましておめでとうございます。本年もよろしくお願い申し上げます。